思えば遠くへ来たもんだ

AIが浸透した時、アートの人生に占める割合が増えると言われる時代。アート産業で仕事がしたい演劇男子サラリーマンの日記。

テクノロジー×演劇の脚本骨子を書いてみたら「ありがとうの奪い合い」を妄想した

テクノロジー×演劇という企画に、

技術的な側面から助言してくれている油絵画家出身のVRプログラマーさん。

いつも打ち合わせでは、技術的な話だけでなく、

美大で培われたアートの話をしてくださる。

 

今回は、テクノロジーという手法に立脚して企画を構想しているため

テクノロジーで面白さが増幅されるような脚本を書く必要がある。

 

テクノロジーが馴染む脚本とは何か。

おおまかに言うと「抽象度がある本」。

お茶の間でお父さんとお母さんが近所の八百屋の話をしている、という

現代口語演劇的な物をもう少し抽象度高く表現した方が良さそう。

 

※一方、企画の広げ方という意味で、真逆に考えてみるのも面白い。

それこそ、お茶の間での会話を、思いっきりテクノロジーふんだんに演出した方が

かえって面白いということも言えそうだな。

話している時に熱が帯びてきて、お父さんが燃えたり

お母さんの唾が弾丸のようにお父さんに突き刺さったり。

 

ただ、抽象度を高めすぎると、今度は演劇のリアルの制約や
かえって文学としての存在感が増してくる。

 

例えば、こんな世界観は馴染むのだろうか。


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貨幣経済の先の未来。
人は「ポイント」を通貨として売買を行う。

 

ポイントは、人から「有難う」と言われて得られる。
人から「有り難い」と思われる言動をすることで
自分のポイントを増やし、自分が自由な生活を行えるようになる。

 

事の善悪よりも、儲かるか儲からないかで活動を決めてきた貨幣経済から
事の善悪により、ある意味、儲かるか儲からないか決まるようになった世界。

 

人は自分の「ポイント」を相手に対し渡し
他人から「ポイント」をもらうことで生活する。

 

「有難う」と言うことが、相手に対し自分のポイントを付与すること。
「有難う」をたくさん言われた方が、何でも手に入れられる。

 

すると、
もっと何でも手に入れたいから
もっと「有難う」を言われたくなる。
「有難う」の奪い合いが始まっていく。

さらには
「有り難いことのインフレ」が置きていく。

 

 


「雨ですね。あ、傘をお持ちでない?これ使ってください、どうぞ」

 

「・・・」

 

「困っているんでしょう?どうぞどうぞ」

 

「そうやって困っているだろうな、という人に手を差し伸べて

 自己肯定感を増していかないと生きている意味を見出せない。

 そうお見受けしました。
 あなたに生きる活力を与えるために、傘を受け取ろうと思います。」

 

「・・・」

 

有難うが言えなくなっていく。
お互いが善を押し付けあう。
建前と本音が、善悪の周りで見えなくなっていく。

 

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例えば、こういう世界観。